嫌なことをやめてみました。
もっと、自分に正直に生きてもいいのではないかなぁと考えるようになりました。
なんとなくモヤモヤすること、なんか好きじゃないこと、よくわからないけど感覚的に嫌なこと、とにかく嫌なもんは嫌なこと。
人間いつ死ぬかわからないと思い知らされた2020年。明日、事故で死ぬかもしれない。病気になって死ぬかもしれない。自分から死にたくなってしまうかもしれない。
他人によって左右されがちな人生を、もっと自分のために、自分自身が作り出していかなくてはいけないといけません。
よりよい未来のために。
まずは、自分が日常で嫌だなぁと感じることを全部やめてみました。
自分が嫌だと思うことを全部やめてみる。でもやめるのは勇気がいる
なんとなく曖昧にしてしまっていること。たくさんありませんか?
ふだんは気にならないのに、ふとしたときに感じる「嫌だという感覚」を思い出すのは、けっこうしんどいものです。
ただ、日常の中でこれ嫌だなぁーと思い続けるのも…
かなりしんどくありませんか?
なるべくなら人生は楽しいほうがいいし、心地よい空間で暮らしたいし、好きな人に囲まれて生きていきたい。誰もが望んでいることです。
まずは、嫌だと思ったことをリストアップしました。
リストアップができたら実行に移すのみ。
この実行が難しいのです。日本人と一括りにするのは好きではありませんが、なかなか「NO」って強く言えない私たち。
しかし、嫌なことはやめると決めた以上は、やめなくてはいけません。
だって嫌なんだもん。
特に、人が関わってくるものは敬意と注意を払ってやめる。
さぁ、勇気を出して全部やめてみようじゃないか。
私が嫌だと思ってやめたことリスト
- タバコを吸う人と付き合うのをやめた
- 愚痴を親身に聞くのをやめた
- SNSをがんばるのをやめた
- 自分が好きなものを隠すのをやめた
- がんばっていることを隠すのをやめた
- 無駄なものを買うのをやめた
- 貴重品のカバンを床に置くのをやめた
- 栄養のないものを買うのをやめた
- 誰も通らない信号を守らない自分をやめた
- 頼まれて引き受けることをやめた
タバコが嫌。タバコを吸う友達と付き合わなくなった
タバコを吸う人と付き合うのをやめました。
喫煙者の友達もいました。
新しく出会って、仲良くなった職場の同僚さん。いっしょにランチに行くのは楽しかったけど、ごはんの最中でもタバコを吸う。
タバコは苦手と伝えていても、一度オッケーしてしまうと、やっぱり吸ってもいいんだという空気になってしまいます。
自分でも嫌なものは嫌というタイプなので、伝えずに我慢することはないのですが、伝えても「じゃあ、やめるね」という人はあまりいませんでした。
悲しい現実です。
もうこれは「一緒にランチ行かない」が正解です。
プライベートでいっしょにカラオケ行ったこともありましたが、その職場を辞めたら会わないと決めていました。
その友達のことを嫌いになったわけではないのですが、どうしてもタバコは嫌。帰り道に楽しかったなぁというより、臭いなぁと思ってしまうほうが勝ちます。
自分にとってタバコはデメリットしかないので、タバコを吸う人には連絡しなくなりました。
毎日愚痴ばかり言う人が面倒。親身に聞かなくなってしまった
愚痴を言う人の話を聞くのをやめました。
職場で仕事中に文句や愚痴を言う人が苦手です。
昔は、親身に聞いて共感してあげるタイプでした。
八方美人で、いろんな人からいろんな話を聞いていると、どちらの意見もわかる。でも、お互い直接話し合わないで、私に言う。
ふと、ストレスの吐け口にされているなぁ…と感じました。
自分でも「言いやすいタイプなのかな」と思っていて、よく愚痴られる。でも、それを聞いた私の愚痴はどこへ行けば発散されるんだろう?
ストレスを抱え込みやすく、考え過ぎてしまうことも多いので、他人のために悩むことも多かったです。
共感性が高いので、ついつい無意識に職場の人間関係をよくしようとがんばっていたこともありました。みんなの気持ちがすごいわかるんです…。
わかったところで自分を変えることはできても、他人を変えることはできない。
だから、愚痴を言うしかない思考に陥っている人の話を聞くのをやめました。ずっと毎日同じこと言ってるんだもん。
少しずつ反応をうすくして、興味ないフリをすることを徹底するようにしました。
話を聞いてほしい人は、「わかるわかる」と言ってくれる人がほしいだけ。それがないと言ってもつまらない。だから「こうやって言ってほしいんだろうなぁ」という言葉を絶対言わない。
それだけでも効果がありました。
SNSをがんばることをやめた。何か良いことを伝えるのが辛くなってしまった
SNSをがんばるのをやめました。
ブログやYouTubeをやっていて発信するのが当たり前な人は、SNSもがんばっています。
「フォロワー数多い人=すごい人」
という謎の文化が正義に変わっていて、「どういう人をフォローしたらいいですか?」と聞かれたこともありました。
そんなん自分で決めればいいのに。フォローしたい人をフォローするのがSNSでしょう。
自分のピントに合った人、自分の感覚と似ている人、こうなりたいなって思う人。そういう人をフォローして、共感したり、知識をもらって自分のものにする。
そういうもんだと思っていたのです。
しかし、発信する側になるとリプライやDMがくるようになります。勝手に「この意見はないだろ」「間違っている」という指摘も受けます。
人のことをあーだこーだ言って、いいね集めるくらいなら、自分の記事書けばと思うのです。
実体験を正直に伝えても「嘘つき」と言われる世界では、誹謗中傷が止まらない。
一つのニュースに対して、わざわざ意見を言うのも疲れるようになってしまった。
誰がどう思っているのかも気にならなくなってしまった。
わざわざ、良いことを言わなきゃって考えるのがしんどくなってしまった。
色んな意見があってもいいと思う。全員に受け入れられるはずがないと思う。
ただ、日常的に匿名で他人に文句を言っている人は心が病んでいるので、生活改善をおすすめする。じゅうぶんな睡眠と栄養をとったほうがいい。

自分の好きなことは隠さない。好きなことは好きって言うことにした
好きなものや好きなことを隠すのをやめました。
好きっていう気持ちは本当のことなので、好きなことは好きと伝えるようになりました。
「こんなの好きって言ったら変って思われるかな」と考えていませんか?
理解されなかったらこわい。変だって思われたら恥ずかしい。バカにされたら悔しい。
私もこんなふうに、かなり思い込んでいました。
あるとき、自分は一人しかいないし、理解されようと思わなくていっか。たまたま興味もってくれたらラッキーと思うようになりました。
好きな気持ちを隠さないようにして、周りに伝えることにしたんです。
そしたらいいことしかないと気づきました。
例えば、中学生のころは「ミッフィーちゃんが好き」って友達に言いまくっていました。
そうすると、誕生日プレゼントはミッフィーグッズが多くなります。嬉しいです。でも、これは普通のことです。
好きが広まると、友達未満のクラスメイトの子からも、たまたま貰ったミッフィーグッズがあっていらないからあげると言われるようになりました。貯金箱やぬいぐるみ、シール、置物などを貰いました。
味をしめた私は、好きって言わなきゃ誰にも伝わらないと思い、好きなものの話をよくするようになりました。今でも、友達には「ミッフィーといえば私を思い出す」と言われるくらい浸透しています。
がんばってることを謙遜しない。自分磨きをがんばることにした
褒められたら謙遜しないのをやめました。
自分のことを褒められるのが苦手でした。褒められても「いやいや私なんかまだまだで…」と謙遜していました。
本当に自分は未熟だし、がんばってないなぁと感じていたんです。
でも、私生きてるだけですげーなって思うようになりました。がんばって生きてる。それだけで最高な人生だ。
どんなに他人から褒められても納得しないのは、まず自分自身が自分のことを褒め称えてないからでした。もっと褒めてあげよう。生きてるだけでエライ。今日も髪セットして、メイクして出勤しただけでエライ。
それでも、やっぱり他人からは「すごいストイックだよね」「なんでそんなにがんばるの?」と言われます。
こうなったら「がんばったほうが人生楽しいじゃん」と返すことに決めました。
何も考えずに、だらだら食べて寝て動画みて過ごすより、興味があることを勉強したり、自分磨きをしているほうが、将来の自分のためになる。
今、がんばらなくていつがんばるの?
無駄なものを買わない。捨てるときに面倒くさくないか考える
無駄なものを買うことをやめました。
消費、浪費、投資の3つに、自分が買ったものを当てはめていくと、いくら自分が無駄なものを買っている事実に気づきます。
衝動買いが多いのは、わかっていたけれど、なんだか家が片付かない。そんな自分が嫌でした。部屋がすっきりしないことで、モヤモヤしていました。
いざ、断捨離をしよう。ときめくものしか残さない。あれもこれも捨てちゃえ期間に突入すると、驚くくらいのごみが出ます。
ごみを分別していると、これは資源ごみなのか不燃ごみなのか、いつ出せばいいのか悩みます。
ぶっちゃけ面倒くさい。
面倒くさがり人間にとって、ごみの分別は至難の技です。
だから、買おうとする瞬間に思い出すようになりました。「これってどうやって捨てるんだろう?」と迷ったものは買わない。
こうしたことで「捨てるのが面倒だから、とりあえず置いておこう」という無駄なものを所有するのがなくなります。
貴重品のカバンは床に置かない。椅子にかけるかきちんとカゴにいれる
カバンを床に置くのをやめました。
断捨離をして、自分の持ち物を見直しました。本当にお気に入りのものを買おうと、新しく奮発して買ったものもあります。
小さいカバンを買いました。持ち物を厳選したら、ますますカバンの中身も愛しく思えるようになりました。
今まで、リュックやA4サイズのトートバッグを持つことが多かったので、平気で床に置いていました。何より重たいので、床に置くしかなかったのです。
それをやめました。
かわいいカバンのことを考えると、床なんて汚いところに絶対に置けません。お財布も入っているので、床は避けたいと考えるようになりました。
外はもちろん、自分の部屋でも床に置くのをやめたら、部屋がより片付くようになるのでおすすめです。
栄養のないものを食べない。わざわざ太るお菓子を買う必要はない
栄養の勉強や、食事管理が日常になってしまったので、今まで食べていた栄養のないものを食べるのをやめました。
食べるのをやめた物は、菓子パン、加工肉(ベーコンやウインナー)、ジャンクフード、ジュース、大好きだった麺類・小麦食品・お酒です。
それでも、たまに食べることはありますが、食べる頻度が少なくなりました。
例えば、ビタミン剤を飲もうと思って買います。飲みます。でも、アルコールを摂取したら意味がなくなります。脂肪の燃焼を手助けしてほしいビタミンたちが、アルコール分解にエネルギーを使われます。
じゃあ、なんてビタミン剤飲んでるの?っていう話。効果が薄くなっているようじゃ意味がないし、お金も無駄。
ダイエットしたい、脂肪をなくしたいとがんばっているのに、脂肪を蓄えるだけのお菓子やジュースを買うって意味不明です。
栄養があるものをきちんと食べていると、無駄な加工食品の多さがよくわかります。人間を太らせる、疲れさせる食べ物の多さ。
もっと、自分の食べるものと向き合って生きていくことに決めました。
誰も見てないからといって信号を守らないことをやめた
信号を守らない人間をやめました。
信号は守る。当たり前の常識です。
しかし、自宅から最寄駅までのなかで、ほとんど誰も通らない信号があります。その信号を、ほとんどの人が無視します。
その信号できちんと止まって待っている人を見かけることが少ない。
それがなんだか悲しくなってしまって、いや悲しいというより、虚しいに近い。
私だけは守ろうという謎の思いがうまれ、絶対車がこないってわかっていても、誰かが信号無視をしていても、私は止まることに決めました。
子どもを連れたお母さんや、自転車で走ってる三兄弟とかはきちんと守っているので、私もきちんと守ろう。そういう人生がいいって思うようになりました。
お天道様は見てるっていうし。
徳を積んで生きていこう。そういった小さな積み重ねで、運はたまっていく気がします。
頼まれても「断る」という選択肢をもつ。なんでも引き受けない
断れない性格をやめました。
フットワークも軽く、予定が空いていたら、そこまで何も考えずに行動していました。いわゆる頼まれると断れないタイプです。
今を生きるのが好きで、過去も未来もそこまで考えずに動いていたように思います。
しかし、一度オッケーした用事にたいして、前日に面倒くさくなり、すごく行きたくなくなるのです。「あー行くって言わなきゃよかった」「雨だし家から出たくない」と思ってしまいます。
だったら、いっそのこと1ヶ月先の予定とか決めるのをやめました。
その日に自分が行きたいか、行きたくないかなんて、1ヶ月前の私には決められません。
仕事も、飲み会も、なんでも頼まれたり、頼りにされるのはうれしいですが、自分の容量をきちんと考えて行動することに。むやみやたらにオッケーしない。
ただ、求められて「自分が行きたい」「やってみたい」と思うものだけ頑張ることに決めました。
【結果】嫌なことをやめてくれない人は付き合わない
自分で変えられることは、自分から変えていかなきゃ何も変わらないです。
昔の私は、他人には言葉で伝えたら変えてくれる、やってくれると思い込んでいました。
それは私が他人に期待していたからです。人間なんだから言葉は通じるし、その人のことを信じて、伝えていました。
それでも、結局変わらない人は多いし、やってくれない人も多い。
だから、自分が変わるほうが手っ取り早いのです。
「他人に期待しない」と、いっけん冷たいとか、ドライとか、ひどいとか思いますよね?
他人にどう思われようが気にしたってしょうがないし、自分が心地よく楽しく生きる人生プランを深く深く考えていくことが楽しくなりました。
人生は長い。
やりたいこともたくさんあるけれど、まずは嫌なことをやめる勇気をもって、一つずつやめてみるきっかけになれば嬉しいです。
