私は、23歳くらいの頃にライブハウスでデスク事務をしていた。
その事務仕事は、ライブハウスのスケジュールによって大きく左右される。
ライブハウスに出るバンドのブッキングが決まらなければ何も進まない。
チケットも作れないし、月刊のパンフレットも作れないし、毎月更新するスケジュール表も貼り出せない。
ブッキングマネージャーである上司がすべてを決めていて、そのすべてが決まるのはギリギリで、いつも遅かった。
私は、ついに聞いてしまった。
「なんで仕事をしてくれないんですか?」と。
Contents
仕事が遅い上司にイライラする部下・私
当時23の小娘の私は、40代の上司に毎日イライラしていて「なんでこいつ、こんなに仕事できないの?」って思っていた。
自分が決めていかなければ、周りが迷惑するのに。
周りのことも考えられないの?
マイペースに仕事してるから遅いんだよ。
期限を決めて、きっちりやるもんじゃないの?仕事って。
たかだか、社会に出て3年くらいの私はずっとそんなことばかり考えていたのである。
とにかく、私は上司のことを「できないやつ認定」していた。
泣きながら「何で仕事してくれないんですか」と言った
代々辞めていった先輩たちの、私の今いるこのデスクポジション。
その先輩たちから受け継がれてきた悩みは、間違いなく上司の仕事が遅くて自分の仕事が遅くなるということだった。
どうしても、私は我慢ができなかった。
「なんで、●●さんは仕事してくれないんですか?」
と本人に言ってしまう。
自分の仕事が進まない苛立ちと、待たせている取引先に迷惑をかけているという思いと、ギリギリでやらなくちゃいけないスケジュールに嫌気がさした。
爆発してしまった私は、上司が私の質問にたいしてなんて答えたのかは覚えていない。
それだけ私は思いつめられるほど、仕事を優先していた。
私は自分で仕事ができると思い込んでいた
今思えば、当時の私は自分が仕事ができると思い込んでいたに違いない。
慣れないデスクワークでも、自分のペース配分を掴めればすぐ慣れてきて、仕事内容は楽しくて好きだった。
ミスをしないように。
取引先に迷惑をかけないように早めに処理をする。
誰かが使いっぱなしで戻していない資料を私がしまう。
なんで、自分で出した資料くらい自分でしまえないんだろうか。
もっと要領よくやればいいのに。
他人に対して、心のなかで悪態をついていた。
私が絶対正義。
私がシフトを休む日は、なるべく暇でシフトの人数が多いときで、休む前には取引先の人にも休みを伝えていた。
「●●さんがいないと、すごい大変だったんですよ!」と言われるのが、ちょっと嬉しかったのかもしれない。
私がいなくても仕事はまわるし誰も本当は困っていない
「わたし、定時で帰ります。」のシシド・カフカを見て思った。
私も昔はこんなふうに仕事をがんばっていたのかもしれない。
後輩に対しても、上司に対しても自分の価値観を押しつけて。
「なんでそんなに仕事できないの?(私はできてるけど)」
自分ができることは、他人もできると思っていた。
自分ができるんだから、他人も同じようにやってくれると思っていた。
でも、本当はぜんぜん違う。
私のしたミスを誰かが私の知らないところでカバーしてくれてたのかもしれないし、私が休んだときだって誰かがフォローしてくれていたに違いない。
仕事は自分ひとりが頑張ればいいものではなく、みんなで協力してチームでやったほうが効率がいいこと。
そのことに気づくことなく、私はその職場を去ってしまった。
わたし、定時で帰ります。の裏にある背景
ライブハウスのデスクを辞めてからも、正社員になっても、私は定時で帰ることができなかった。
みんなが残業しているのが当たり前で、自分も残業しなくちゃいけないと感じながら、パソコンに向かう。
残業するのが当たり前。休日出勤も当たり前。
私は、吉高由里子の役が自分と重なってしまった。
毎日残業しても終わらない仕事は、いつまで経ってもその量は減らなかった。
社員が増えても、事業は拡大していくばかりで、ますます一人当たりの仕事量が増えて、完全にキャパオーバーである。
「私ががんばればいいのか。」
その刷り込まれた感情が、なかなか消えない。
定時で帰って何が悪いの?わたしも、これからも定時で帰ります。
ブラック企業体質が一度、自分のカラダにセットされると、リセットされるまでに時間がかかる。
自分は仕事ができるから、他人も自分と同じようにやれて当たり前だとか。
みんなが残業しているから、自分も残業しなきゃだとか。
残業がふつうだとか。効率悪いじゃなくて、残業している人が評価されるとか。
同じ仕事でも、人によってやり方はちがう。
価値観がちがうのは当たり前なのに、同じようなやり方を求められて、同じようにやりなさいと言われる。
仕事ができる。仕事ができない。
それを決めつけるのは、部下の私ではなかった。
上司は、部下だった小娘の私に「何で仕事をしてくれないの?」って聞かれて、どう思ったんだろう。
他人の気持ちなんか考えずに口走っていた、あの頃。私はまだちょっと尖っていた。
自分と同じように、他人にも感情がある、それが当たり前ということに10年くらいかかってしまった気がする。
わたしは、今日も定時で帰ります。
それが、仕事に夢中になりすぎて体調を崩した結果の結論なら、許されてもいいと思うのだ。
他人の気持ちも考えず、自分の思ったことを他人に叩きつけるような人間になってしまうくらいなら。
大事な「自分」は、自分が守るしかない。
そして、そう決めた人に他人がどうこう言う筋合いはないということだ。
何が悪いの?定時で帰って。
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