働きたくない

時には、人が死ぬことについて考えたい。

人は死んだらどこにいくんだろう・ナナメドリ

今この記事を読もうとしているあなたも、この記事を書いている私もいつか死ぬ。

 

人はこの世に生まれてしまった以上、なんとか生きなくてはいけない。

生まれたいと思って生まれてきたわけじゃない。

きっと、前世があってやり残したことがあるんだろうな。覚えてないけれど。

人間だから考えることができて、考えたことを誰かに伝えることができて、その伝え方もたくさんあるわけで。

私は今ブログを書いているわけで。

ブログで毎日何かを発表している。(毎日というのは盛った)

私の経験談を軸に書いているこのブログも、時には人が死ぬことについて考えてみたい。

一緒に働いていた人が亡くなった

ちょうど一年前くらいに、ある人の訃報が入った。

めちゃくちゃ久しぶりな人からのLINEじゃなくて、直電話。

電話がかかってくるなんて、これは良い報せじゃないんだなと出る前に思った。

思ったのにもかかわらず、その訃報を聞いても「え!!」ってびっくりしてしまう自分がいる。

その人が何となく病気なのは、Facebookの投稿で知ってはいたけれど、まさかそこまで重いとは知らなかったのである。

「がん」だった。

私が社会人デビューできたのはその人のおかげ

私は専門学校のころから働いていたライブハウスにそのままアルバイトで働いていた。

社会の一般常識とか、マナーとか、研修もないまま、私は社会人になってしまった。

教えてくれる先輩も年が近くて、上司というより、本当にただの先輩。

先輩のうちに泊まりに行ったり、無視されている先輩のことで悩んで辞めたいって、ちがう先輩に相談したり。

出勤前から、朝のモスバーガーで愚痴りまくってた。

そんな私も少しずつ大人になり、ライブハウスの照明からデスクという部署に異動することになった。

自前のノートパソコンを買い、イラストレーターやフォトショの使い方、ワード・エクセルの便利なやり方、領収書の切り方、名刺の渡し方を、その人に教えてもらうことになる。

さいしょは、ちょっとこわくて近寄りがたかった。

でも、有名ミュージシャンの方からもインディーズバンドの子からも慕われていて、長く同じ場所で働いていることってすごいことなのかもしれないと思った。

その人が、辞めるって聞いたときは、本当に信じられなかったことを今でも忘れることができない。

ずっとこの場所にいることが当たり前で、私のほうが先に辞めるんじゃないかと思っていた。

本当に、とても大きな決断だったんだと思う。

些細なことで注意をされたり、こうやってやったほうが効率的だよなんて言ってくれる人がいなくなる。

人は他人に怒られることにストレスを感じるけれど、誰にも怒られないことにたいしても、また不安を覚える生き物なのかもしれない。



人はかならず死ぬし、全員死に向かっている

人は死ぬ。人以外の動物も、植物もみんな死ぬ。

死ぬのがこわいのは、いつ死ぬのがわからないからだ。

例えば、寿命がわかっていてカウントダウンされている数字が手の甲に表示されているとしたら、「あと数日で死ぬからいっか」なんて考えちゃうだろう。

嫌なことが続いている現状なのに、あと80年って表示されたら途方に暮れてしまうかもしれない。

そう思うと、表示されなくて良かったということにつきる。

 

私はどうやって死ぬんだろう。

 

病気になりたくないし、怪我もしたくないし、事故りたくもないし、殺されたくもない。

一度、他人に「刺すぞ」って言われたことがある私は、絶対に殺されたくない。

それはそれで、今生きていることが不思議だと思える。

この不思議な時間に、死ぬことを考えたい。

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どうせ死ぬならってあいみょんが歌っているなら

あいみょんが「どうせ死ぬなら」って歌っている。

『どうせ死ぬなら、二度寝で死にたいわ。』

最高だと思った。

人は、二度寝が気持ちいいことを知っている。

時間があるから、もうちょっと眠ろうかなぁという瞬間。

その2時間後、あれちょっと寝すぎちゃったかもという罪悪感。

最高に心地が良い。

 

どうせ死ぬなら。

 

私は、小さい頃から「老衰」がいいと公言していた。

前の日に、家族におやすみって言った次の日に眠ったまま亡くなる。

痛みもなく、哀しみもなく、寝るのが大好きな私は眠ったまま死にたい。

私の理想的な死に方。

人は死んだらどこにいくんだろう

「死んだら、瀬戸内海の海に散骨してほしい」と遺書がわりに手帳に書いている。日付は2013年だった。

散骨には、20万前後かかるのも知っている。

大好きな海にばらまいてほしい。

お通夜があって、お葬式をされて、火葬で焼かれて、骨になって、骨を拾われて、お墓に入る。

その当たり前のことをしてほしくないのかもしれない。

家族には申し訳ないけど、私はお墓に入りたくないし、入らなくてもいいやと考えている。

入ったところで、そこにはずっといられない気がする。

「ああ、どこか行きたいなぁ」って死んでからも考えて、お墓から出ちゃう気がするんだ。

それを見かけられたら、こわいだろうし、私は楽しいのに怖がられるのはかなしいから、やっぱりお墓に入れられたくない。

 

死んだあとは、どうなるんだろう。

 

幽体離脱みたいに、上から死んだ自分を見下ろせるのだろうか。

魂だけになることができるんだろうか。

死役所みたいに、死んでからも手続きをしなくちゃいけないのかな。めんどくさいな。

死んでからも楽しく過ごすことができたらいいな。

そんなことを友達と話していたら、死ぬのがとても楽しみになってしまった。

 

死んでしまって、こんなことを考えることができなくなる前に、私はこの世でいっぱい考えて、誰かに伝えていきたいと思う。

 

もうすぐ、その人の一周忌。

時には、死について考えたいと思った。

死について考えたいときに

死役所に行ったら、書類を書かなくてはいけない。なんで死んだのかっていう手続き。こんなに過酷なことはない。

死んだら何もかも忘れて眠りたいだけなのに。

人は死んだらどこにいくんだろう、死者が見えて会話ができるようになってしまったらどうしよう。

小栗旬さんがかっこいい「BORDER」というドラマ。

あなたも、明日死ぬかもよ?

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